人間死を覚悟するとその時に走馬灯が見えるとはよく言った話ですね。
そもそも走馬灯とはなんなのか。
少し調べてみました。
走馬灯、走馬燈(そうまとう)とは内外二重の枠
を持ち、影絵が回転しながら写るように細工された灯籠(灯篭)の一種。回り灯籠とも。中国発祥で日本では江戸中期に夏の夜の娯楽として登場した。俳諧では夏の季語。
うん。
ん?
文章にするとよくわかりませんが筆者は
メリーゴーランドのようなものだという認識をしていました。
近からず遠からずといったところでしょうか。
とにかく、
死の直前に今までの人生がフラッシュバックする
というものだという認識で話を進めます。
筆者は人生で2度死を身近に感じた事があります。
1度目は1995年阪神淡路大震災の時です。
当時小学生だった筆者はその日、インフルエンザで学校を休んでいました。
普段はきょうだいと布団で川の字で眠っているのですが、その日はインフルエンザだったという事情もあり、自分は父親と母親が眠っているベッドで眠っていました(きょうだいへの感染防止のため)
朝方だったでしょうか。
物凄い音と共に家が真横に揺れているのを感じました。
直後、父親が
「地震や!!」
といって自分に覆いかぶさって来ました。
筆者の父親は普段あまり感情を出す事がない人だったのでその尋常では無い態度を見て子供ながらに漠然と(あ、死ぬんだな)と思いました。
自分の住んでいる家はマンションだったのですが、それが映画の様に倒れていく姿を瞬間的に想像したのを今でも覚えています。
結果的に大きな被害は無かったのですが(神戸に比べて)筆者が間違いなく死を覚悟した1度目の経験でした。
その時は走馬灯は見えませんでした。
次に2回目に死にかけた時の話をします。
当時筆者は高校1年生。もしくは2年生。
ちょうどバイクに興味を持つ年頃です。
筆者はバイクの免許もバイクも持っていない子でしたがある日友人の後ろに乗せてもらう事がありました。
当時は友人も自分もあまりに無鉄砲でした。
勿論の事その死にかけた話は交通事故です。
道を走っていたら、いきなり体が物凄い力に引っ張られるのを感じ、くるくると回転し、地面に横たわっていました。
その力に引っ張られている時にはっきりと死を感じました。
そして、このブログのタイトルである
死を感じた時に走馬灯は見えたか
という話になりますが、
2回とも見えませんでした。
これが答えです。
しかしながら、
確かに不思議な体験はしました。
それは、全てがスローモーションに見えた。
という体験です。
スローモーションというか、その死を感じた間に
物凄く考える時間があった
という方が正確かもしれません。
その時に筆者は走馬灯は見えなかった。
本当に推測でしか無いのですが、当時の筆者はあまりにも若すぎたが故に自己の人生に走馬灯を見る程の情報量が無かったのではないか。
というのが筆者の意見です。
あれから20年経った現在ではもしかしたら見るのかもしれません。
それでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。